霰天神山について

錦小路通室町西入にあるので、「錦天神山(にしきてんじんやま)」ともいわれる。
 
永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、 時ならぬ霰が降り猛火はたちまち消えたが、そのとき 天神像が、霰とともに降って屋根に止っていたので、その奇瑞(きずい)に感じてこれを祀ったのがこの山の起りであるという。
 
それゆえ、この山は「火除天神(ひ よけてんじん)山」とも呼ばれる。山 の上には欄縁にそって朱塗り極彩色 の廻廊(かいろう)をめぐらし、中央 に唐破風(からはふ)春日造(かすがづくり)の神殿を安置する。 前懸は16 世紀にベルギーで製作さ れた「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いているが(平成21年復元新調)、 中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、 上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は「紅地雲龍宝尽 図」(平成21年復元新調)が用いられている。山の縁起にちなみ宵山には「火防せ、 雷除け」 の御守が 授与され ます。 

 


山建て

霰天神山では、7月13日の朝から、町席の前で『山建て』を行います。 ここでは大工方の皆さんが、早朝から準備し、独特の『縄がらみ』の手法で組み立 てていかれます。 前祭の17日や、後祭の24日に、鉾や山の巡行が行われます。この時、新町通り など狭い通りでこの巡行を見ていると、山鉾が(特に重くて背の高い鉾が)ギシギシ と音をたて、大きく揺れながら目の前を通っていきます。

各山鉾町での鉾建ては7月10日から始まりますが、霰天神山では13日の朝から始ま ります。 山の部材は町席の蔵等に収められており、 町席前の道路には、柱を立てる際の目印と して、四箇所に礎石が埋め込まれています。
 
 
どの山鉾を建てるのにも、一本の釘も使 っていません。ほぞ組みした木組みを「荒 縄」だけで固定していきます。縄で緩やか に組み立てることにより、巡行時の衝撃は 分散され、柔軟性と強度を併せ持った構造が実現します。この技法を『縄がらみ』といいます。大きな鉾になると、この荒縄だ けで5000mぐらい使うとのことでした。
 

霰天神山は、以前の巡行時に計測された とき約 650kgでしたが、重い鉾になると 10tぐらいのものもあるそうです。その重み を支え、辻迴し等の横向きの激しい動きに 耐えるには、むしろ完全に固定せず、遊びをもたせることで、全体のひずみを吸収させ、安全に巡行できるとのことでした。
 
山が完成すると、前掛け・胴掛け・見送 りなどの懸装品をつけると、隠れて見えな くなってしまうのが惜しいほどです。是非、 組み立て途中の大工方の皆さんの技法を、 見学してください。

 


町席飾り(7月14日~16日)

町席飾り(7月14日~16日) 7 月14 日の朝からは、霰天神山に載せるすべての懸装品などを、町席の広間に飾ります。春日造りの神殿も、蔵から出し、広間に安置します。14日午後から16日まで、大勢の方がお詣りにお見えになります。